眼内レンズ材質別比較:特徴と臨床的意義
1.はじめに
眼内レンズ(IOL: Intraocular Lens)は白内障手術において混濁した水晶体を除去した後に挿入される人工レンズであり、屈折力を回復させる重要な役割を担っています。現在、眼内レンズは主に5つの材質に分類されます:親水性アクリル、疎水性アクリル、シリコン、PMMA(ポリメチルメタクリレート)、およびコラマーレンズです。各材質はそれぞれ独自の物理的・化学的特性を持ち、臨床成績や合併症リスクに影響を与えます(Kohnen, 2009)。
白内障手術は世界で最も多く行われている手術の一つであり、眼内レンズの選択は術後の視覚の質や長期的な合併症リスクに重大な影響を与えます(Apple et al., 2000)。本稿では、5種類の主要な眼内レンズ材質について、その物理的・化学的特性、臨床的なメリット・デメリット、特定の患者集団に対する適応、最新の研究知見、そして将来の展望について概説します。
2. 眼内レンズ材質の物理的・化学的特性比較表
特性 | 親水性アクリル | 疎水性アクリル | シリコン | PMMA | コラマーレンズ |
---|---|---|---|---|---|
含水率 | 18〜38% | 0.3〜4% | ほぼ0% | 0% | 35〜40% |
屈折率 | 1.43〜1.47 | 1.47〜1.55 | 1.41〜1.46 | 約1.49 | 1.44〜1.45 |
アッベ数 | 50〜60 | 35〜55 | 53〜55 | 57〜58 | 約47 |
ガラス転移温度 | 約10℃ | 約15℃ | -120℃以下 | 約105℃ | 約5℃ |
材料組成 | 主にHEMAとその共重合体 | PEA、PEMAとその共重合体 | PDMS | メチルメタクリレート重合体 | コラーゲンとHEMAの複合材料 |
表面特性 | 親水性(接触角30°以下) | 疎水性(接触角90°以上) | 極めて疎水性(接触角110°以上) | 比較的疎水性(接触角約70°) | 非常に親水性(接触角約25°) |
柔軟性 | 高い | 中程度 | 非常に高い | なし(硬質) | 非常に高い |
折りたたみ可能性 | 可能 | 可能 | 可能 | 不可能 | 可能 |
UV-A カット | あり(製品による) | あり(製品による) | あり(製品による) | あり(製品による) | あり(標準装備) |
UV-B カット | あり(製品による) | あり(製品による) | あり(製品による) | あり(製品による) | あり(標準装備) |
3. 各材質の臨床的メリットとデメリット
3.1 親水性アクリル眼内レンズ
臨床的メリット
- 優れた生体適合性と低炎症反応(Abela-Formanek et al., 2011)
- シャープエッジデザインPCO発症抑制効果はそこそこ(Findl et al., 2007)
- 表面の傷つきにくさ(Miyata et al., 2012)
- 小切開手術(2.0〜2.2mm)への高い適合性(Osher, 2015)
臨床的デメリット
- カルシウム沈着リスク、特に糖尿病患者で顕著(Neuhann et al., 2008)
- 含水率変動による光学的性能の不安定性(Zhao et al., 2007)
- YAGレーザー後嚢切開術後の傷つきやすさ(Boureau et al., 2009)
- 嚢収縮症候群への相対的脆弱性(Hayashi et al., 2011)
3.2 疎水性アクリル眼内レンズ
臨床的メリット
- 優れた光学的安定性と屈折力の長期維持(Miyata et al., 2010)
- 優れた嚢内安定性と位置固定性(Cochener et al., 2018)
- YAGレーザー後嚢切開術への高い耐性(Dick et al., 2008)
- シャープエッジデザインとの組み合わせによる低いPCO発生率(Findl et al., 2010)
臨床的デメリット
- 古い種類だとグリスニング現象(微小空隙形成)による光散乱(Thomes & Callaghan, 2013)
- 高屈折率による強い表面反射と可能性のあるグレア(Nishi et al., 2012)
- 疎水性表面への炎症細胞付着による異物反応(Saika, 2004)
- 挿入時の高い摩擦抵抗(Kohnen et al., 2009)
3.3 シリコン眼内レンズ
臨床的メリット
- 優れた光学的透明性と長期安定性(Apple et al., 2000)
- 非常に高い柔軟性と予測可能な展開性(Hayashi et al., 2007)
- グリスニング現象がほとんど発生しない(Werner et al., 2015)
- 化学的不活性による長期的な生体内安定性(Pandey et al., 2004)
臨床的デメリット
- シリコンオイルとの非互換性(網膜硝子体手術が必要な場合の制約)(Apple et al., 2002)
- 極疎水性の表面による細胞付着や膜形成リスク(Baumeister et al., 2003)
- 特に円形エッジデザインでの高いPCO発生率(Hayashi et al., 2005)
- 静電気による異物付着リスク(Olson et al., 2005)
- 低い生体適合性
3.4 PMMA眼内レンズ
臨床的メリット
- 卓越した長期安定性と耐久性(50年以上の臨床実績)(Apple et al., 2000)
- 優れた光学的透明性と高いアッベ数(Klos et al., 1999)
- 低コストによる世界的な白内障対策への貢献(Ruit et al., 2007)
- 嚢収縮症候群への高い抵抗性(非常に硬い素材)(Hayashi et al., 2011)
臨床的デメリット
- 折りたたみ不可能なため大きな切開創(5.5〜7.0mm)が必要(Kohnen et al., 2003)
- 硬質による手術中の操作性の問題と合併症リスク(Hayashi et al., 2002)
- 現代の小切開白内障手術との非互換性(Kohnen, 2009)
- 他の材質と比較して強い術後炎症反応(Dick et al., 2001)
3.5 コラマーレンズ
臨床的メリット
- コラーゲン成分による非常に高い生体適合性(Pineda-Fernández et al., 2004)
- 高い含水率と柔軟性による小切開手術との適合性(Sanders & Vukich, 2006)
- 標準装備のUV保護機能(Pineda-Fernández et al., 2004)
- 水晶体上皮細胞付着の抑制効果(Lackner et al., 2005)
臨床的デメリット
- 限られた長期使用データ(比較的新しい材料)(Sanders et al., 2007)
- コラーゲン成分の潜在的な長期劣化リスク(Pineda-Fernández et al., 2004)
- 比較的高いコスト(Sanders & Vukich, 2006)
- 限られた市場シェアと入手性(Sanders et al., 2010)
4. 素材別生体適合性ランキングと市場シェア
4.1 素材別生体適合性ランキング
純粋に素材自体の生体適合性のみを考慮した場合のランキング(Abela-Formanek et al., 2011; Sanders et al., 2007; Saika, 2004; Dick et al., 2001):
- 親水性アクリル
- コラマーレンズ
- 疎水性アクリル(ただし素材により非常に高いものもある)
- シリコン
- PMMA
4.2 現在の眼内レンズ市場での各材質の概算移植割合
現時点での眼内レンズ素材別の移植割合(Kohnen, 2009; Sanders et al., 2010):
- 疎水性アクリル: 約60-70%
- 親水性アクリル: 約20-25%
- シリコン: 約5-10%(生体適合性など問題より通常使われることは無い)
- PMMA: 約2-5%(主に発展途上国)
- コラマーレンズ: 約1-2%(ICLのみ)
→眼内での安定性などの観点より、現時点疎水性アクリルに移行している。親水性アクリルで開発されたIOLも可能な企業力があれば疎水性アクリルに変更されてきている。先進国において、PMMA、シリコンIOLは挿入されることはほとんど無くなっている。
5. 特殊状況における選択
網膜硝子体手術の可能性がある患者:
- シリコンIOLはシリコンオイルと相互作用するため避けるべき(Apple et al., 2002)
- 網膜剥離リスクの高い患者にはアクリルIOLが推奨される(Patel et al., 2006)
糖尿病患者:
- 一部の親水性IOLでカルシウム沈着リスクが高まる可能性(Abela-Formanek et al., 2002)
- 疎水性アクリルIOLは糖尿病患者の術後嚢胞様黄斑浮腫リスクが低い(Miyake et al., 1999)
小児白内障:
- 嚢収縮力が強いため、耐久性の高いアクリルが選択される(Wilson et al., 2007)
- 後発白内障発生率が高いため、シャープエッジデザインが特に重要(Vasavada & Nihalani, 2006)
6. 最新の傾向と将来の展望
1. プレミアムIOLの普及
多焦点IOL、トーリックIOL、EDOF IOLなどの高機能IOL使用増加(Kohnen et al., 2009)
2. 新素材の開発
グリスニングやカルシウム沈着などの問題を解決するための新素材開発(Werner et al., 2015; Thomes & Callaghan, 2013)
3. 表面処理技術の進歩
親水性・疎水性のハイブリッド表面や生体模倣型コーティング技術(Bozukova et al., 2013)
4. 薬物送達機能を持つIOL
抗炎症薬や抗生物質などを徐放する機能を持つIOLの開発(Kohnen et al., 2009; Pandey et al., 2004)
7. 最後に
全ての条件において優れた素材のIOLは未だ無い。しかし、第6,第7の素材のIOLを開発し、未来の屈折白内障手術を次の次元に昇華させるために、私達は実験と研究、開発に取り組んでいる。それらが広く、世界に広まることを期待したい。